ブリットポップ特集
スパイクアイランド

スパイク・アイランドにてストーン・ローゼスのライブ

NIRVANA

テレビ出演時のカート・コヴァーン

Blur

ブリットポップの代表でもあるブラー

カート・コヴァーンの葬式に参列するファン

オアシス

94年デビューのオアシス

オアシスのノエル・ギャラガー

チャート戦争を報道するメディア。国中が注目することとなった

トップ・ポップ・スターのロビー・ウィリアムス

イアンブラウン

ライブでのイアン・ブラウン

スウェードなどUKバンドが次々とシーンに登場

ブラーのデーモン・アルバーン

カート・コヴァーンへのメッセージ

ネプワース公演でのオアシス

オアシスのリアム・ギャラガー

NME紙のブラーVSオアシス

マッシヴ・アタックの3D

90年5月スパイク・アイランドにて「ストーン・ローゼス」の大規模なライブが行われた。3万人以上の集客があったこのライブにて90年代の英国の音楽産業はある種の変化が起こりはじめる予兆でもあった。
「クール・ブリタニア」と呼ばれる英国が英国らしさであり、毎日が興奮の連続とも言われるぐらい最も輝いた時代の前兆でもあった。
音楽産業の先導は常にアメリカが握っていた。そして英国らしさの自身を取り戻すため、先頭に立つべきバンドだったのが、マンチェスター・ムヴメントの先駆けとなったこのストーン・ローゼスであった。

だがそうはならなかった。彼らはしぼみ始め、ロック・ポップ文化にぽっかりと穴が空き、その空洞をうめるべき再び英国の音楽産業はあるバンドの出現により再び音楽産業の先導はアメリカに移ることになる。
そのバンドこそがあの「ニルヴァーナ」である。91年11月に英国の音楽番組「トップ・オブ・ザ・ポップ」に出演、そして「パール・ジャム」などの台頭で英国だけでなく全世界にグランジを広めることになる。その後、グッド・ミキサー代理のもとインディーシーンで活動していたバンドたちが次々とシーンに登場していく。英国中に広がっていたアメリカ文化に対する英国文化を取り戻すことの始まりである。
その代表が「スウェード」「エラスティカ」らである。その中にチャート戦争の渦中に巻き込まれることになる「ブラー」の名前もあった。

その後、ブラーが94年に「パークライフ」をリリース。これがブリットポップ・ブームの始まりを意味することになる。
しかし、同年音楽産業に「カート・コヴァーン自殺」の衝撃のニュースが舞い込む。
ロック・シーンの先頭にいた「ニルヴァーナ」を失ったことにより、大きな空洞が空くことになったが、この空洞を埋めることになるバンドが同じく同年に登場することになる。そのバンドこそが「オアシス」である。

インディーバンドであったブラーとオアシスはリリースするシングルすべてがUKチャートトップ3にはいることから
95年8月にリリースしたオアシスの「Roll With It」、ブラーの「CountryHouse」のリリースに向け、「チャート戦争」へとメディアが騒ぎ立てはじめることになる。これが有名なブラーVSオアシスである。 また、60年代のビートルズVSローリング・ストーンズ以来と表現し、国中が注目するニュースとなった。ブリットポップの黄金期である。

とくにNME紙はこの戦争とたきつけ、どのバンドが生き残るかを静観しようとした。NMEが期待したのは、中流階級出身で清潔感のあるブラーのほうであった。
NME紙の購買層にあうことからであるが、結果は労働階級出身のオアシスが勝つことになる。

その結果、ブラーは中流階級のまやかしバンドとレッテルを貼られ、オアシスは骨太の労働階級の英雄と祭り上げられた。

戦争に勝利したブリットポップのはオアシスだと定義づけされ、その後英国最大と言われたネプワース公演へと進んで行き英国最高バンドと称えられた。

一方、ブラーは5thアルバム「Blur」をリリース。アメリカ志向の強いオルタナティブ・サウンド接近を図った。そこにデーモン・アルバーンは「ブリットポップは死んだ」と発言。いち早くブリットポップ・ブームの波から外れたバンドでもあった。ブリットポップ・ブームの暗雲が曇り始めるのもこの頃からである。

ブリットポップ・ブームというのは、万年野党が勝利した音楽であった。ロックの産地である英国であるが、実際のところはチャートには、アメリカのバンドや英国産のアイドル、バラードが主流だったのである。英国バンドというのはにわかアンダーグラウンド視されていたのである。、アンダーグラウンドがオヴァーグラウンドに勝利したことから始まったのである。

オアシスの「Be Here Now」、パルプの「This Is Hardcore」の落ち込みにより、ブリットポップ・ブームの終焉のシンボルとなり、ブリットポップ・バンドは混迷の時代に入ることとなった。これがブリットポップの終焉である。ブリットポップ・バンドを失った英国音楽産業はケミカル・ブラザーズ、ファットボーイ・スリム、プロディジーなどのクラブ・ミュージック、ロビー・ウィリアムやSクラブ7などのポップ・アイドル、ブリットポップ・ブームの渦中にいながら違ったサウンドを展開していたレディオヘッド、マッシヴ・アタック、そしてレッド・ホット・チリペッパーズやエミネムなどアメリカ勢へと姿を変えて行くことになる。



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※参考資料「LIVE FOREVER」